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![]() M1 / 水瓶座 / B型 喫煙癖の塾講師 興味:医学・宗教・死生観 以前の記事
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2009年 01月 07日
未来が見える、らしい。
分かってはいたことだけれど、琴線に触れた瞬間。 あの人にとっては、当たり前でつまらないことなのかも知れない。 それでも、あの人は悪い人だ。 どうしていいのか分からないようなことばかり続く。 飴が置いてあった。 それだけのことなのだ。 でも、そのことが一体どれだけのことなのか、 あの人には分かっていないだろう。 好きとか嫌いだとか、 そういうのってやっぱり面倒なことだ。 2008年 12月 14日
書き込むのが億劫になっているんだな。
9月に書き込んだことすら忘れていた。 師走ともなり、そこそこ忙しく生活している。 レポートや発表はしばらく無いし、のんびりしているもんだと思う。 ここに来るまでは、それなりに悩んだこともあったのだけれど、そういうのも忘れた。 1日1日、リセットをしている気がする。 でもそのおかげで、覚えていなくちゃいけないことも忘れている。 論文は来年6月までに半分書かなければいけない。 それでどこかに発表しなければならない。 おそらく、今までに誰も研究したことの無いテーマなので、その辺は頑張らないと。 食人俗、というと少し大き過ぎるので肝(キモ)だけに絞り込んで調べていこうと思う。 今のところ頑張った記録。 『医心方』(平安時代の医学書)から、必要なページを全てコピーしてまとめた。 ちなみに肝が出てきたのは5~6箇所という悲しい結末だった。 もっといろいろあると思ったのだけれど、最初からとんだ肩透かしを食らった。 先生も少し同情してくれた。すぐに次の課題をくれたけど。 次は『大同類聚方』と『和漢三才図会』についても同じことをしたい。 なのにもう、ちょっと疲れたなあと思って、しばらく休憩中。 年末までに2冊分やってしまわないと、先生に怒られちゃうし、間に合わなくなっちゃうなあ。 逃避、現実逃避。 金曜の授業で毎週詩の翻訳をしていることで、木曜が潰れている。 すごく面白いのだけれど、それだけは許せない。 今のところ、英語・フランス語・スペイン語・ドイツ語の翻訳をした。 全部先生が解説はしてくれるのだけれど、自分で辞書を引いて読んでいる。 特にスペイン語やドイツ語のときは苦戦した。 英語とフランス語は、学部時代にやったことがあったけれど、スペイン語とドイツ語は初挑戦で、単語の検討すらつかなかった。 語学をやる上でまず習得しなければならないのは、代名詞と冠詞だと思った。 たとえば、英語ならIとかyou、あるいはitなんていうところ。それからaとtheも。 それが分からないと、それだけの単語(それだけ基本的である単語)についてわざわざ辞書のページを捲らなければならない。 その点フランス語は、詳しい知識は無いのだけれど、jeやvous、leとlaとlesなんてことは分かっていたし、楽だった気がする。 しかしスペイン語とドイツ語の訳ができたときは、 (あっ、所詮言語は道具に過ぎないんだ) と気付いた。 あれはなかなか貴重な体験で、誰もいない院生室で一人興奮してしまった。 わたしは日本語以外の言語を話すことは出来ないから、それ故に卑屈になっていた。 周りには留学生が多いし、「英語ならある程度出来るよ」みたいな日本人も多いから、余計にそうだった。 でも、それは大した問題ではないと思った。 そもそも何かを伝えたり、残したりするためのツールでしかない言語が、1つしか使えないからって一体何だって言うんだ、と。 もちろん、2つ3つ使えた方が、コミュニケーションを取れる人数は増えるけれど、今の自分にそれが本当に必要かと問われれば、ノーと答えるしかない訳だ。 まあ、いずれ英語はなんとか習得しておきたいよね、が本音だけど。 この前の翻訳は先生が「よくできていますね!二重丸、いや星つけておかないと」と、やや大袈裟にほめてくれた。 自分としてはあまり気に入っていなかった部分もあって、複雑ではあったけれど、ほめられたのはとても嬉しかった。 文学的センスがあるのかなあ、無いのはわかってるけど言ってみたい。 それにしても最近全然身が入っていないのは、バイト先の人のせいだ。 その人はいつもわたしの琴線に触れるようなことばかりする。 アイスや飴を、まるで子供にあげるように、わたしにくれる。 自分だけに優しくしてくれている訳ではないのだろうなと、冷静に考えたいのだけれど、期待をするのは浅ましい。 そもそもアイスの件に関しては、自分が嫌いな味だったらまだしも、 「あげるよ」と言うので 「いらないんですか?嫌いとか?」と気を遣ってみたら(アイスはとても美味しかった)、 「いや、そうじゃないけど、欲そうにしてたから」って、どんだけ欲張りなんだよそれ。 飴だって袋ごと差し出して「何味がいい?」なんて言う。 別に何だって構いやしないし、そんなこといい大人が気にしないだろうと思う。 昨日も差し入れでもらった蜜柑を食べた後、皮を捨てようと思って一瞬辺りを見渡したら、 「はいはい」とレジ袋を差し出してくれる。お母さんなのか。お前はお母さんか。 なんてことが続いて、振り回されている気がする。 いや、本当はわたしの子供っぽい振る舞いにあの人が振り回されているのだろうか。 いくら「妹と同い年」と言われても、仕事先でそんな感じに構われると恥ずかしくなってくる。 振り返ってみるととても気の付く人で、そういうのを節々に感じさせられる。 だからこそ(あー別に自分にだけこういうことしてるんじゃないんだろうな)と思うのに、それでちょっと胸が痛くなって、やっぱり振り回されているようだ。 あの人に嫌われたくはないな。 2008年 09月 03日
レポートや修論の資料集め漬けの日々です。
この1ヶ月半の間に3本レポートを書き上げた。 とは言え、1本につき1週間しかかけていない。 途中に思考停止期間があったので、その辺りが無駄に時間を食った。 レポートの課題は、ほとんどの科目で「授業で扱ったものの中から自分で選ぶ」形式だったので、結構自分の趣味で書くことができた。 (1)村上春樹『やがて哀しき外国語』について (2)世阿弥『風姿花伝』「年来稽古条々」について (3)インセスト・タブーと婚姻形態の関係について それぞれ範囲が全く違うので、頭を使い分けるのがとても面白かった。 参考文献を探して、それを読む。 自分なりに資料をまとめあげる。 意外と自分には向いている作業なのだと思った。 そもそも文章を書くこと自体は嫌いではないし、それを発表することに苦痛を感じなくなった。 でもいちばん書く甲斐を感じたのは、インセスト・タブーのレポートだ。 形のあるもの(つまり文章)を相手にするのは慣れないものだと思った。 それよりは、誰かの行動や動作、思想の方が興味深い。 (でも結局は文章が相手になってしまうのは、仕方が無い。) 修論は、『本草綱目』「人部」を中心とした、身体論を書くような気がする。 医学や薬学は、実際に医学部や薬学部に入って、それを利用する立場になろうとするのは難しい。 それでも、文化としてそれを考察することぐらいなら、自分にもできそうなのだ。 「文化」という言葉が何を指すか。 それはよくわからないことなのだけれど、人間の思想に基づいた行為なのではないかと思う。 こんな風潮の中で、こういう行為が行われた、とか、こんな宗教の影響を受けて、こういう現象が現れた、とか。 (風潮や宗教、そのものが文化でもあるので、結局のところ全てが文化と呼べるものになる気もする。) もっと早くからその面白さに気付ければよかったなと心から思う。 でもなんだかんだ言って、ここまで来て良かった。 素直にそう思う。 要するに、他人のことを気にしている場合じゃないってことだ。 2008年 07月 28日
どこにでもある場所、そしてどこにでもいるひと。
博物館に行ったり、図書館に行ったり。 今の生活でやらなければいけないことをしているつもりなんだけれど、季節柄いろんなことを思い出して、悲しくなる。 でもそれで帰れる訳でもなく、そんなことわかってるじゃないかと自分に言い聞かせる。 バイトの通常授業が、夏期講習中はできないので、他の日に振り替えになる。 そうすると、大抵小学生の授業は朝からになって、いつも夕方から夜に通る道を真昼間の暑い時間に走ることになる。 そうでなくても、夏期講習中は昼間から授業をしたり、そのために道を走ったりする。 そういう風景を、全部思い出す。 完全に夜型の人間なので、そんなに楽じゃなかった。 でもそれは、わたしの夏の景色だった。 国1を跨いで渡る、信号待ちの長い道。 よく通った、田んぼの中のコンビニ。 バイト先のある通りを原付で擦り抜けて行くときの気持ち。 もう2度と無いのだとしたら、もう少し何か記録を取って置けば良かった。 でもそんなことするのは「日常」では無かった。仕方が無い。 そういうことを考えていると、泣きそうになる。 キャンパスの風景なんてほとんど思い出したりしないのに、そういうことばかり思い出す。 今さらだけど、あのバイト先のこと、ひと、みんな好きだったんだと思う。 もう原付であの道を走ったり、お店に行ったりすることはないんだよ。 わかってるんだよ。全部。 大学に入ったとき、そういうことを考えたことは無かった。 確かに淋しく感じることは少なくなかったけれど、今より強く思い出すものが無かった。 大事な友達や先生はいたけれど、「行為」や「風景」について思うことは無かった。 とても悲しい。 かと言って、静岡に遊びに行こうと思っても、自分の現状がそれを可能にしてくれない。 わたしは研究をするために、ここに来たのだし、それはわたしの希望だったのだし。 要は「輝かしい過去」に執着して、それがずっと続くと思っていたことを今さら気付いただけのことだ。 わかってるけど、でも、 その先に続く言葉が正しいことはないよね。 2008年 06月 22日
何にも思い浮かばない。
久し振りに『羊をめぐる冒険』なんていう小説を読んだ。 3年前に読んだはずで、その頃は60%の"なんとなくの理解"が得られた。 今はそれが95%になっている。 (ちなみにこの"なんとなくの理解"は、推移であるとか、言葉のいちばん上の意味に対するものであって、何か説明や分析を求められても、それはわたしには出来ない。) 読まず嫌いをしていた3年の間に、わたしが変わったことを知った。 この作者の小説を読むのには、それなりの体力が必要で、今の自分には無いものだと思っていた。 それなのに、今現在、想像していたほどの疲労を感じていない。 或いは、わたしは飢えているのかも知れない。 部屋を閉め切ってタバコを吸っていたら、喫煙出来る車両の匂いがした。 慌ててスプレーを撒いたら、空気がやたらに湿った。 先日、「岩瀬文庫」へ行った。 西尾市の図書館に隣接している、近代的な建物だ。 簡単に説明すると、岩瀬という人が買収した、江戸から大正に掛けての歴史的な資料が保管されている。 そして珍しいことに、それが(一部の学術的権威を持つ者だけでなく、)一般に公開されているというものだ。 そこで江戸期に描かれた薬草の図鑑を見た。 これが、信じられないほど綺麗だった。 江戸の芸術というと、浮世絵のような、デフォルメされた現実を描いたものだと思っていたのだけれど、それは偏見だった。 ソフィスティケートされ切った段階で、デフォルメに向かったというのが正しいようだ。 振り返ってみれば、際限なんて無い。 必ず"次"が現れる。 その連続に、何かしらの意味を付けたがっている後続者がいる。 もし途絶えたのだとしたら、その意味にまで手を出したがるのだけれど。 そう考えてみたりして、あるいは考えなかったりして、刺激を受けた。 今、とにかく受信したい。 森永のれん乳氷が、好きだ。 食べながら、少しだけあのひとのことを考える。 タバコなら片手で済むのに、アイスクリームは両手が必要だからだ。 こうして、お互いに消えて行くのだろう。 善悪や一般論、個人の感傷はもう、うんざりするくらい、予測がついている。 穴が開いたとき、どうすればいいのかが分からない。 それが、発端なんだ。 2008年 05月 24日
何も発信しないから、何も受信できないのではないか。
怠惰だ。 非生産的な時間を過ごしている。 研究したいと思うし、今よりいい授業がしたいとも思う。 でも、何ひとつ形になっていないのが現状だ。 雨が降ると安心するのは、誰もが外出を控えていると思い込めるからだ。 しかし、最近は少しずつ気持ちが楽になっている。 詰め込んできたものを、ほんの少し、降ろしている。 それは大半が人間関係に関わること(文字にすると変な日本語)で、成功する度に (思っていたほど、人間って悪くない) と感じてしまう。 以前にも考えたことだけれど、わたしは恵まれている。 少なくとも、自分が好意を持っている人間に囲まれて生きている。 それはつまり、自分が選んだ人間が、同じように自分を選んでくれているということだ。 もしかすると、それ以上に望むことなんてどこにも無いのかも知れないね。 ここ数日は本を買ったり、服を買ったり、そういった面でも楽しいことをしている。 以下、非常に物質的な話。 やらなきゃと思っていた、国文学史の勉強を始めた。 高校生用の参考書を買ってきて、ちまちま読んでいる。 学部の頃から、いろいろの歴史上の文学作品名を挙げられても、"さっぱり"な時があって、そういうのが非常に恥ずかしいと思っていた。 さらに、修士論文は「日本の近世から近代における、文学上の自殺の比較」をテーマにするんだとかなんとか、謎のテーマ設定を行ってしまった。 (なぜ「謎」か、といういちばんの原因は、"近世"・"近代"・"文学"・"自殺"といった、言葉の定義が謎である、ということだと思う。) これは勉強しないと、とようやく気付いたため、参考書を買うという行動に走ったのだ。 ちなみに、高専の頃授業で4ページ分しか使わなかった国語便覧と交互に眺めている。 他の授業の関係もあって、最初から黙々と読んでいるのだけれど、聞いたことある作品や、知っていたはずの作品がぼろぼろ出てくるので焦る。 昨日、『懐風藻』や『凌雲集』なんて言葉が出てきて、それこそ「失敗った」と思った(この台詞は、今読んでる堀田善衛の『香港にて』から)。 ビジネス書読んで満足している場合じゃないよ。 他に数冊、漫画と文庫本を買った。 アマゾンは、便利だね。 木曜には、授業が休講だったのでパルコで買い物をした。 とにかくJEANASISに行きたかったので、2着ワンピースを勢いで買った。 グリーンと、ホワイトの、エスニック系プリントが施されているもので、非常に可愛らしい。 自分に似合うのか、と思うほど可愛らしい。 たまには、と思うのだけれど、3月に買ったスーツの支払い(分割)に追われている身なので、再び分割で買った。 大した額ではないのだけれど、一括にするのが怖い。 そう考えると、手数料なんて微々たるものだと思える。 お金なんて無くても幸せだとか、そういうことを考えたことは、一度も無い。 パルコに行ったとき、GWに3人で遊んだことを思い出して、少しセンチメンタルになった。 もう2度とああいう経験はできないだろうし、今の自分はそれを然程必要としていないのだ。 大袈裟なことを言ってしまえば、彼らが今この瞬間に生きていようがいまいが、わたしにはあまり興味が無い。 ただ、わたしが会うとき、電話をするときに、生きていてくれればいいのだ。 自分勝手と言われたら、仕方が無い。言い訳もしない。 「確かにあの日は楽しかった。」 それだけでいいのに、どうして今の自分は、そのことを、彼らを、評価しようとしてしまうのだろう。 2008年 05月 18日
会わないと、忘れていっちゃうのね。
時々、好きで好きで仕方ないと思うときが来る。 でも時々、気持ち悪いと感じるくらい、会えないことが心地よく思える。 そういうのを繰り返していると、"自分はあの人を好きだと言って、そうやって何かしらへの理由を付けたいのではないか"と考えるようになる。 もう何でもいいのだけれど、答えが欲しいのだ。それでも、この思いを失うことが怖い。 関係が無くなることは、今さら大したことではない気がする。 失恋ってそういうことなのか。 2008年 01月 06日
他人には他人の決意があって。
夏、あんなに一緒にいて、秋にはどうしても欲しかった人が 今は嫌悪感しか与えてくれない。 なんだかんだいって、わたしは「あのひと」から離れることが出来ないのだ。 今日久しぶりに2人きりで仕事をしてきた。 夏にも同じシチュエーションで働いたことがあったのだけれど、そのときとは、状況も心境も違っていた。 当たり前だ。 今日のあのひとは不思議で、わたしの話をやけに聞いてくれた。 わたしは自分の話がつまらなくて情けないから、どんなに話したいことや聞いてもらいたいことがあっても、黙ってしまう。 それなのに、あのひとは珍しく、わたしを見ていてくれた。 きっと、神様がくれたご褒美なのだ。 そんなことを真剣に思った。 わたしは確かにこのひとが好きだと思った。 でも、以前ほど自分を飾ろうとか、格好良いところだけを見ていて欲しいとは思わない。 その分、こころが楽になったような気がする。 自分でもよくわからないのだけれど、信頼感があるように感じる。 一緒に仕事をしていて、すごく動きやすい。 その上、話をしていて言葉が分かりやすい。 それはきっと、あのひとがわたしに分かる言葉を選んでくれているからなのだと思う。 或いはわたしが、あのひとの言葉が分かるようになったのかも知れない。 どちらにせよ、安っぽい台詞を使うのなら、「空気のようだ」。 今日はテスト監督と採点だった。 あのひとは「お前の採点、精度高いなあ」と褒めてくれた。 それだけで、わたしは嬉しかった。 嬉しかったというか、「こそばゆい」という感覚を初めて覚えたのは、 「はた今日何の香水付けてんの?なんかほのかに香る」 と言われたこと。 今日はマークジェイコブスのブラッシュを付けていて、これは最近のわたしのいちばんお気に入りの香水だったので、俯いてニヤついてしまった。 先日わたしの家で年越しをしたとき、ポールスミスのストーリー(これもまた気に入っている)を嗅いで「俺これ欲しい!」と騒いでいたくらい、最近我々は香水にはまっている。 ちなみにわたしはニナリッチのレベルドゥリッチ2が非常に好きなのだけれど(つまり甘ったるいのが好き)、最近、先述の2つを買ったのだ。 <仕事中の会話> 「そう言えばこの前、女物(の香水)にはまってるって言ってたじゃないですか」 「ああ、この間グッチのこういうやつ買った。知ってる?」(黒板にイラストを描き始める) 「グッチ…?名前しか知らない」 「何知ってる?」 「エンヴィ」 「あーたぶんそれだ」 「うそ!絶対違うよ!」 「でも今これが欲しい。ブルガリなんだけど」(プリントにイラストを描き始める) 「ブルガリわたし好きじゃないからわかんないなあ」 「こういうの!こういうの!」 「んー…」 「プールオムは縦長じゃん?横長のやつで、白いやつだよ」 「待って、調べる…(楽天で検索)…ブルガリかー」 「俺もブラックとか苦手だよ」 「あー、わたしブラック大っ嫌い…あ、これ?」 「あ、これこれ!これ欲しい」 「ジャスミンヴェール?これくらい買ってあげますよ」 「えっ、ほんとに?いいの?」 「うん、1本ぐらいなら…でもほんとにこれ?」 「うん」 「どんな匂い?」 「なんかね、女の子がつけてる…けどボーイッシュな…」 「そんな…w 何が入ってるかわかんないんですか?」 「わからん」 「まあいいけど。これでいいんですね?」 「まじでくれんの?」 「うん、忘れた頃に」 ということで香水を買ってあげることにした。 この前はストーリーが欲しいって騒いでたくせに、いい気なもんだと思った。 <帰り際の会話> 「ということで、はたちん。お疲れさまでした。ありがとうございました」 「あら、そんな、珍しい」 「いやあ、頑張った。頑張ったから、お礼に香水ください」 「何それw わかってますよ」 「ほんとにいいの?」 「別に香水の1本や2本買ってあげますよ」 「やったー」 「じゃあお礼にどっか連れてってください」 「どこ行きたいの?」 「海」 「海?そんなん清水でもどこでも行けばいいじゃん」 「それじゃあ意味無いじゃん!わたし御前崎に行ってみたい」 「あ、俺も御前崎行きたい」 「でしょ?」 「御前崎って何があんの?」 「…灯台?」 「東大か、うざいなw」 「いや、でもちゃんと連れてってくださいよ」 「いいけど休みが合わないじゃん」 「日曜は?日曜ならいいじゃん」 「あー、1月半ば過ぎたら俺も日曜休める気がする」 「ほら!…でもすっぽかされるからなあ」 「え?俺すっぽかしたことないよ?」 「そうだけど」 「だって約束してないじゃん」 「じゃあ約束してくださいよ、海」 「わかった。じゃあちゃんといつ行くか決めればいいんだよ」 「うん、じゃあ決めましょう」 「13日は仕事あるからダメだな」 「ふむ」 「20日は?…っていうかミーティングな気がする」 「ですね…じゃあ2月になったら絶対連れてってくださいよ」 「おう」 「ちゃんと休みの日言ってくださいよ?」 「おう、わかった。デートだな」 ということで香水と引き換えに御前崎に行けるらしい。 本当に行けるんだとしたら、とても嬉しい。 けれど、あのひとは今日、 「俺結婚しないって決めたから車買ったんだよね」 と言った。 別にあのひとと結婚したい、なんて大層なことは考えないけれど、なんだか悲しくなった。 実は直前に、わたしも 「わたしは最初から結婚する気なんて無いんですけど」 と言っているので、大差無いとも言えるのだけれど。 出来るものなら独占してみたい気は、する。 難しいことは考えずに、「わたしのことを好きになってはくれませんか?」と誘ってみたい。 肉体に興味は無いのだけれど、その熱には触れてみたい。 友情じゃ、足りない。でも、愛情じゃ、違う。 2007年 09月 25日
You are my dawn when I'm alone
(ひとりぼっちの時 あなたは私の夜明け) ----- 「眠れない夜」BONNIE PINK ここ数日、真剣になって「2人でやりたいこと」を考えた。 取り敢えずどこかへ出かけてみようということは決めたのだけれど、いざ考えてみると、特に行きたいところなど無いのだった。 それでもそんなことを言えば「実感が無い」だのと言われるのだから、無理に搾り出した。 プラネタリウムに行きたい、と思った。 前々から行ってみたいとは思っていたものの、静岡市内には無さそうで諦めていたのだが、折角向こうは車を持っているのだから少し甘えてみようということだ。 それが無理なら博物館か美術館、なんとなくアカデミックな場所ばかり浮かんだ。 自分はこの数日、本当に一生懸命考えたので、次に会えるのはいつかとメールをしたら、暫く会えないという旨のメールが返ってきた。 もしかして、わたしだけ空回りしているのではなかろうか。虚しくなってきた。 名古屋に行っている間、先輩や大事な友達に会って、本当に自分は贅沢な人間だなあと思った。 わたしは申し訳なくなる。 こんなに素敵な人たちが自分と一緒に時間を過ごしてくれることが有り難くて仕方が無い。 けれど、少し考え方が変わった。 今までわたしは、自分が選び取ってきたものだけが自分の現状をつくり上げているのだと思っていた。 それは間違いのないことで、わたしが選ばなかったものは、当然ここにはない。 どんなに嫌で苦痛なものであっても、それは少なからず自分が選んだものに付随して現れるものだと思う。 (逆に選び切れないものもある。例えば親や顔・形といった、所謂「先天的」なもの。 でもそれも結局離縁するなり、整形するなりといった選択をしないのだから、結果自分が選んだことになると思う。) だが考えてみると、それはモノ(≒物質)に対してのみ通用する考えではないか。 人間関係においてそのルールを適用するのは、少し違う気がした。 それを維持するには一方の努力や配慮では足りない。 ある程度、お互いに思いやらないと何も残りはしないのだ。 ということを考えると、少なくとも今わたしが維持していると考える人間関係においては、わたしとその相手が、それを選び取っているはずだ。 わたしはさらに恵まれた人間であると思う。 わたしが必要として、選び取った(少々傲慢な言い回しだな)相手は、わたしを選び取ってくれたと考えても、間違いではないのだろう。 こんなに価値の無い人間が、と思うのは、ともすれば相手の選択能力を貶めることに繋がる。 そう考えて、わたしは自分が、自分が思っているよりは価値のある人間であるように思えた。 わたしは友達が少ない。 が、それはわたしがそう選んできた結果だ。 別に誰に笑われても構わないし、誰もそれを笑うことができないだろう。 なんとなく自分に"自信"を持つようになった。 だから少しぐらい我が儘を言っても許されるかと思って、冒頭の話に戻る。 そこでいろいろと考えて、「やりたいこと」を搾り出したというのに、この様だ。 自分は非常にタイミングの悪い人間だなと思った。 静岡に帰って、何人かの人と会ったり連絡を取ったりしているけれど、その度に仕合わせだなと思う。 今のわたしにとっては、必要なものばかりがここにある。 満足して溜め息を吐いたって、誰もそれを咎めることはできないだろう? 2007年 09月 24日
矛盾していると気付いていても、諦められないことってあるじゃない。
院試終了致しました。 東北大と名大という、大御所にお邪魔してきた。 両方とももの凄く大きな大学で、静大は大学じゃなく、ただのサル山だと分かった。 2週間も旅をしていたので、ここ2~3日は穏やかに、楽しいことだけしている。 この期間に考えたことがたくさんあって、それをちょっとずつ整理している。 けれど最近、サピア・ウォーフの仮説が正しいような気がして、自分にもうちょっと語彙があればなあ、と何度も思う。 原付に乗ってひとりドライブしているときが、いちばん頭が冴える気がする。 考えた、とは言うけれど、その程度の頭しか持っていないから大した話ではないのだと思う。 でもこの2週間を通じて、いちばん強く思って、考えたことは、自分が如何に恵まれているか、ということだ。 最初は単純に、わたしに恋人(「彼氏」と言うのは失礼な気がしてしまう)ができたということが奇跡だというか、彼がわたしを受け入れてくれたことについて、何て奇特な人間がいるのだろうと思ったことから始まった。 仙台にいた1週目は、とにかく早く会いたくて、早く触れたいと思っていた。 出発する前に軽く口論になっていて、彼に「僕は半年って割り切ってるけど、はたさんはそれでいいの?」と聞かれたことが、常に気掛かりだった。 そのことしか頭に無くて、わたしは正常な思考とはおよそかけ離れた世界にいた。 初めての仙台は大きな街で、たくさんの人がいて、たくさんのモノがあったけれど、ただ足りないのは彼の存在であって、そのことが唯一、最大の欠陥だった。 そういうことを考えている自分が、非常に愚かしかった。 一旦静岡に戻ってきた日、お土産の牛タン(めちゃめちゃ美味かった)でパーティーをした。 いつものメンバー4人で、彼の家に押し掛けて牛タンを焼いてもらった。 朝までみんなで話をして、やっぱり「みんな」と一緒がいいなと思った。 でもわたしが「みんな」に与えられるものは、無いような気がして、ひとりで舞い上がっている自分に気付いた。 帰りは雨が降っていたので、あのひとの車で送ってもらったのだけれど、家に着いた直後に「あーあ/かえっちゃった」と彼からメールが来た。 そんなことを言われても眠くて仕方ないのだった。 それも相俟って頭の中がどうもクリアーにならなくて、「わたしはいつもあなたが嬉しいとか楽しいと思うことがしたいのに、それができてない自分が嫌だ」と、訳の分からない不満をぶつけてしまった。 それから2日後、今度は2人きりで飲むことになった。 日曜の夜でお金が下ろせなかったので、カードで買って彼の家に向かった。 そもそも院試週間が終わった訳ではないのに、何を余裕かましていたのか分からない。 けれど、お誘いがあったことが嬉しくて仕様が無かったのだ。 彼は「付き合ってるって実感が無いんだよね」と、現実を突き付けてくれた。 何かにつけてわたしに「気を遣われてるって言うか、常に顔色窺われてる気がする」らしい。 わたしは、自分が人に気を遣っている自覚は無いし、顔色を窺っている意識も無いので、些か狼狽えた。 そうしておいて、彼は「もっとはたさんのこと大事にするって決めたんだよ」と言って、旅行の計画を立ててくれた。 結局それは暫くお預けになったのだけれど、まさかそんなことを言われて、旅行の話をされるとは思わなかったので、もの凄く嬉しかったのに、それがちゃんと言えなかった。 わたしはいつも感情をちゃんと表現しないからいけない。 嫌いなことに対しては、あからさまに面に出せる(これは彼に言われた上、母親に肯定されてしまった)のに、好きなことに対してそれができない。 もうちょっと嬉しい顔のひとつでもできれば、彼も喜んでくれたのかも知れない。 夜中に帰ろうとしたら「泊まってけばいいのに」と言われて、困った。 眠るときにまで誰かといるのは面倒だなと思ったのだけれど、それを言ったらいけないような気がしたので「生理だから嫌だ」と訳の分からない言い訳をして帰った。 よく考えてみると、わたしが何か好からぬ期待をしているようではないか。 それから次の日、電話越しに「まだ半年って割り切ってるの?」と尋ねてみた。 「え?そんなこと言ってないじゃん」 「そんな、割り切ってるって言ったのそっちじゃん」 「それは半年先になってみなきゃ分かんないって言ったじゃん」 「…(それ言ったのはわたしなんだけど)」 なんだかよく分からないので、下手に触れないようにしようと決めた。 半年先になってみなきゃ分からないと言うのなら、問うだけ無駄だ。 まあいいやと思って、名古屋へ行った。 名古屋は楽しみなことが2つあって、ひとつはわたしの尊敬する先輩に会える(この時点では「かも知れない」)こと、それからもうひとつが、大事な友達に会えることだった。 試験を受けに来ている筈なのに、それが楽しみで夜、眠れなかった。 そういうところが子供っぽい。
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